ライス、久しぶり!元気かい?僕が君について何か書くのは2回目だね。君が逝ってしまった次の日、何とか
学校に行ったけど誰の言葉もどんな授業も耳に入らなかったあの日。僕の頭は君のことだけしか考えられなか
った。そんな中、授業中に書いた君の詩。実家に帰れば、まだ取ってあるんだよね。長い、月曜日。その夜、
僕は眠りにつく前に、君を心の箱の中に閉じこめてしまった。今、その箱を開けてみたら、なんだか切ない気持
ちになってしまったよ。
僕が見た君のレースは8戦。3回目の有馬は府中のターフビジョン、あとは全部テレビ。結局1度も会えなか
ったね。2度目に見た京都記念。君は60sも背負わされていた。僕にとってそれは君の強さを証明する斤量
だった。日経賞でツインターボを捕まえにいった姿はかっこよかったよ。その年の有馬記念、ブライアンとアマ
ゾンの一騎打ちだってのはわかってたけど、君の復活、と言うか君が3着になるのを期待していた。アマゾンの
あとにゴールインしてたよね、ちゃっかり。明けて再び京都記念。チカちゃんが先頭でゴールして1秒ぐらいあと
にゴール。日経賞も馬場に泣かされちゃって連続6着だったね。世間じゃ「もう終わった」なんて言われてたけ
ど、淀の長距離走らせたら誰にも負けないってこと、実は知ってたよ。4コーナーで早めに先頭に立って直線、
逃げる君の姿をよく覚えている。ステチャンがすごい脚でやってきたよね。彼も好きだったけど、最後は君の名
前を叫んだような気がする。その1ヶ月半後、また君の名前を叫ばなきゃいけなくなっちゃうなんて、考えもしな
かったよ。てっきり秋までお休みすると思ってた。確かに宝塚記念のファン投票では1票入れたけど、それはた
だ君が好きだったから。「何で出るんだよ」なんて言ったもん。ダンツシアトルが勝つって思っちゃってたもん。で
も、何たって宝塚記念だからね。もちろん、僕の「私の夢」は君だったよ。せっかく淀でやるんだし、京都行った
ついでに勝っちゃわないかなってね。
平成7年6月4日、日曜日・・・この日のこと、もう書いても良いよね?その日、居間のテレビは親父に占領さ
れ、仕方なく姉貴の部屋に黙って入ってテレビをつけていた。そうそう、思い出した。3時過ぎるまですっかり忘
れてたんだよ。で、居間に行ったら親父がテレビ見てて、「競馬見せて」って言ったら「ダメ」って言われて・・・そ
う、で杉本さんの「私の夢」はアイルトンシンボリだったっけ?ファンファーレが鳴って、スタート。君はすごく行き
っぷりが悪かった。全然ダッシュが付かなかったよね。なんだか不安になって「おいおいライスゥ〜、どうしたん
だよ〜」なんて言ってたんだ。3・・ちょっと・・・・・待ってね・・・・・・・・そうだ、違う話をしようか。
君がいなくなってからちょうど1年後ぐらいだったかな、府中で君の妹に会ったよ。たしかオスカースマイル、
お父さんはねぇ、えっと何か長い名前だったんだよね・・・モーニングフローリックだったかなぁ?いや、違う。ジ
ャッジアンジェルーチだ!君よりは毛の色が黒くなくてね、確か鹿毛だったと思うよ。君の妹らしくちっこくてかわ
いかったよ。飯塚先生のとこで、的場さんが乗ってて・・・君のことをお話ししようと思ったんだけど結局「がんば
れ」ってしか言えなかった。
そろそろ話を元に戻そうか。3コーナー過ぎて下り坂、杉本さんが「何か1頭落ちました」って言った次の瞬
間、君が崩れ落ちる姿が映ったんだ。杉本さんの言葉が聞こえてから君の姿が映るまでのわずかな瞬間、僕
はすぐに君が故障したのを悟った。なぜかはわからないけど確かにあの瞬間、落馬したのが的場さんであると
いう直感がはたらいたんだ。そのあとのことは全然覚えてないよ。ただダンツシアトルが勝ったことだけ覚えて
るけど、それはもしかしたらあとで知ったのかもしれない。とにかく、今でも鮮明に覚えてるその瞬間。夜のダイ
ジェストで君が逝ってしまったことを確認したらやっと泣けた。寝れなかったんだぞ、君のせいで。
あのね、僕ねえ、ホームページっての作ったんだ。いろんな気持ちがあって作ったんだけど、たぶんその中の
ひとつに君やホクトベガ、ブライアンなんかのことを書きたいってのがあったんだと思う。あの日からずっと無視
しててごめんね。明日からはきっと、笑って君の強さを話せると思うよ。
ライス、またね、いつか京都と君の生まれ故郷に会いに行くからね。 2000・1/17